西方行脚2016/~納沙布岬~別海~美幌~北見~佐呂間~遠軽
9月15日(木) どうしても食いたいそばがある

30年ぶりの最東端
 今日は念願叶って納沙布岬まで行きます。過去何度か計画しては、必ず半日以上費やす地理的不利にいつも諦めてました。しかし今回で全車北海道走破達成の一区切り。これを逃すと次はいつになるやら。そこで初めから釧路製作所の8722とセットにして優先的に組み込んだんです。しかし8722が間に合わないと納沙布はパスになるので、昨日間に合ったのって大っきいんです。今度こそ行けますから。と言っても初めてじゃないんですよ。’86年に娘授かりに来た時以来ですから30年ぶりです。そこでこれまた30年ぶりに花咲ガニをいただこうって趣向です。



 朝飯済ましたら即出発なんですが、ゆんべの残りもんが実に丁度良い量。計らずして1食節約できちゃいました。素泊まりで正解!厚岸駅でお約束の1枚撮ったらR44でさらに東に向かいます。



 しかしこっちの道産子も速い!数字こそ書けませんが気持ちよく走ってたんじゃ遅すぎます。なのでだんだんこっちも・・・。でも軽トラ抜く5号を更に抜くトラックに「お~これぞ北海道!」なんて感激してちゃいけませんよね。



 地図で見た根室半島のイメージでは、納沙布岬なんてすぐそこに思えてしまうんですが、そこが内地モンの浅はかさ。かつてのANAのコピーじゃないですが「でっかいどう 北海道」のとおりでっかいです。厚岸からでも2時間はかかりますから。でも走っててとにかく気持ち良いんです!だから全然気になりません!あと53キロ、じゃなくてもう53キロしか・・・です。根室駅が9時15分頃着でしたから良いペースです。



 この根室駅は日本最東端の駅と思われがちですが、実際は一つ手前の東根室という無人駅が日本最東端です。根室本線が花咲過ぎて北に折れて東根室過ぎると西に向かってしまうためです。後で時間あったら寄ってみよ。



 平和の塔が見えてくると納沙布岬はもうすぐそこです。今日も天気良いから水晶島もよく見えることでしょう。30年前カミさんと咲蟹喰いながら眺めたそのままの姿で。あのおばちゃん元気かな?



5号最東端へ
 
ほぼ予定通りの10時45分、望郷の岬公園の4島のかけ橋に迎えられてノシャップ岬到着。同時に5号日本最東端到達です!ちなみに、今回で全車北海道走破ではありますが、最東端に達したのは1号と5号だけです。



 さっそく花咲蟹食わしてくれる店、と言うよりあの時の店探しですが、なんか30年前に来たときより整備されてるし店も増えてるみたい。



 納沙布岬の碑は今も2本立ってますが、↑こんなふうになってました。こっちの↓絵面は変わってませんね。あ、写ってる本人はかなり・・・(笑)



 もう一方は当時のままです。このすぐ脇に1号(当時そうは言いませんでしたが)止めてカミさんと写真撮りましたっけ。まぁ、立派になったこと(爆)



 さて肝心の「あの時の店」探しです。店先のおばちゃんが「たきたてでおいしいよ!」と誘うのを「朝飯食ったばかりだから食いきれないよ」と断ったのに「残ったら包んであげるから」の一言でまんまと釣り上げられちゃったんですよねぇ。ところが、ガッツリ朝飯食ったばかりなのに二人でペロリと平らげちゃったんです。旨かったもんなぁ。しかもおばちゃんに北方領土のことや、その蟹は明け方に高速艇で水晶島近くからかっぱらってきた、なんて話を聞きながらでしたから、旨い花咲蟹の味とともに一層印象深く心に刻まれたんです。そんなあの時の味をもう一度味わいたくて・・・。しかし明らかに店が増えてます。ただでさえ記憶があやふやなのにこれじゃ分かるはずがありません。で、ままよ!と入った店はなんと30年前に食った正に「あの時の店」そのもの、かも?だってね、そこは40年前からやってるとか、周りの店は新しいとか、なもんで。蟹選んでくれてるおにいちゃんも「そりゃウチのおふくろかもよ!」と。ってことはあの時色々話してくれたおばちゃんの息子さん!?ちなみに、後日家のアルバムで確認したらビンゴ!正にこの店でした。



 さぁ、店が決まったら蟹選びですが、軽くながら朝飯食ってるんで金額云々じゃなくてサイズが大事。もう当時みたいに食えるわけないし、残すなんて絶対イヤですからね。なので小ぶりなのを選んでもらいましたが、それでもちょっと自信なかったなぁ・・・。選ばれちゃった花咲くん、あわれ釜茹でです。



 生簀の中の花咲くんたち眺めてて「散る桜残る桜も散る桜」の句を思い出す・・・なんて不謹慎?でもこいつらここで食われる順番待ちなんですよねぇ。そんなこと知る由もないだろうけど、なんとも・・・・。え?そばじゃないじゃん、ってか?その話は後で!




北方領土
 店開けたばかりだからでしょうね、茹で上がるまで15分くらいとのこと。なのですぐそこにくっきり見える水晶島をしみじみ眺めてたんですが、なんだかいろんな思いがこみ上げてモヤモヤ・・・。なぜこの国は国民に北方領土返還を訴えかけないの?北海道以外で「返せ北方領土!」のポスターなんて見たことないし、メディアも知らん顔。どっかのキチガイ国みたいに洗脳くらいすりゃいいのに。教育の場でもそんな史実は入試に出ないから教えないし。不思議の国日本!ってか?でも本当はあの島々は昔からアイヌの人たちの島々なんですよねぇ。すっかり忘れ去られてますけど・・・。



 ところで・・・、シベリア抑留のこともあるから、一方的に条約破ったソ連は悪者で良いんだけど、破るようにけしかけたのはルーズベルトとチャーチルだもんね。でも、その後調子こいたソ連の北海道割譲要求を蹴ったのがトルーマンだったりして。それと・・・、その「一方的」って言うのもどうなんでしょ?日本だけ玉音放送で戦争終わった気になってたけど、世界では日本が降伏したのは9月2日ですから、南樺太や千島列島に攻め込んできた時のソ連にとっちゃまだ戦争中。でも停戦命令に従った日本軍VS指揮命令系統アバウトのソ連軍じゃ、やっぱソ連が悪い!その辺の事実を伝える当たり前の教育も皆無の日本国。暢気なのか無頓着なのか打算的なのか?ゆであがりを待つ間の私の頭の中はそんな思いで大忙しでした。




30年ぶりの花咲蟹!



 とかいっときながら真っ赤に茹で上がったの見て!!!茹で立てで熱々なんだけど、とげ痛いんだけど足の1本目が口に入った瞬間スイッチON!



 カニ食うと無口になるって言うけどホント。回りも気にせず汁飛ばして無我夢中。貪り食うという表現以外当てはまるものはない感じ(笑)。旨いったらありゃしない!これじゃ食えちゃいますよ。で、みんごと平らげました。



 店のおねぇちゃんに点検してもらったら完璧!食えるところはすべて食い尽くしていました。カニは別腹とも言うそうですから、朝飯食ったぐらいじゃ微動だにしませんでした。いやぁ実にうまかった!ご馳走様でした!ちなみにこれで2700円。ま、妥当かと。ところが、アルバムによると30年前の時はもっとでかかったけど4000円。ってことは値段変わってない?すごい!



 帰り際に店のおにぃちゃんに「北方領土はもう過去の話?」と訊いたら「とんでもない!オレ2世ですよ。早く返してほしいです!」と。奪われて早70年。内地ではもう単なる過去、いや、歴史上の出来事と化していても、ここでは未だ戦争は終わっていなかったんです。ようがす、これからは私も「返せ!」と言い続ける日本人に戻りましょう。




寄り道しつつ別海へ
 蟹にほだされて予定より長居しちゃいました。お次は2時間半走って別海ですから急がないと。なんですが、チョイと寄り道その1は最東端の郵便局「珸瑤瑁郵便局」。かつての「しのぎ」に未練などないんですが・・・



 その2は最東端の駅「東根室駅」。テツながらこんな時でもないとまず来ることなんてありませんからね。意外でしたが無人駅ながら駅前は広いです。

 

 

 昭和36年開設時からの無人駅は片側ホームのみで屋根も無し。最東端でなければ全国区の駅になどなりえません。それにしても・・・まだ真冬の朝に通学で列車待つ子なんているんですかね?いたら拷問でしょうな。ハイ、寄り道終わり!別海に向けてちゃんと走りましょ!



 天気がちょっと不安定でにわか雨も浴びましたが、晴れてくれればこの通り。内地モンが北海道を一番感じられる景色が車窓を流れます。中でも別海町をゆくR243は殆ど一直線。起伏が少ないんで気が付きませんでしたが、さっきからハンドル殆ど動かしてません!これぞ北海道!たまらん!






別海のD51-27
 お次は旧標津線西春別駅跡の別海町鉄道記念公園です。もちろんここもスマホナビで一発。2時間ちょっとの爽快なドライブでした。



 さて、このD51。D5127じゃなくてD51-27なんです。これは昭和24年に三菱で作って樺太に輸出(戦後賠償ではない)された30両の生き残りで、昭和40年頃まで東海岸を走ったそうです。それを何両か買い戻したようですが、残っているのはこの1量だけになってしまいました。しかし・・・塗りとヘッドライトでずいぶんと印象代わりますな。と言ってドイツ機にも見えないところは、確立した日本機のデザインなのでしょうね。



 そうそう、キャブも変わってます。D51は元々開放式ですがこのカマは製造時から密閉式。北海道で独自に密閉式に改造したものとはだいぶ姿が違います。形状もその頃作られてたC61に似ていますから流用でしょうかね?
 


 露天のコンディションとしてはまずまず。単なるD51の保存機ではないのでこれからも大切にしてほしいものです。




美幌のヘンな塗りのC58
 お次は美幌の柏が丘公園のC58。ここは公園のどこに保存されてるかのチェックが甘く、広い敷地を結構歩かされてしまいました。

    

 で、やっと見つけたC58は・・・なんだいこの塗りは?黒一色でいいのに・・・。まさか塗りの途中のサフェ?いや、明らかに塗り分けてます。屋根つきでコンディションもまずまずなのに何てことするのよ!ハイ、もう次!







本線跡に並ぶ北見の蒸機



 お次は北見のSL公園。2両並んでるんで効率いいです。地下にもぐった石北線の跡地を公園にしたそうですから、かつて走っていた線路そのものに保存されているってこと?駅跡というのはよく見ますが、これは珍しい。コンディションは露天なのに極上!ただ・・・どこもそうなんですがここも撮りにくいなぁ・・・。非公式側はまともには撮りようがないです。反対行ってみましょ。

 これが大正解!柵はこちらからでも邪魔なのは変わりませんが、かなり撮りやすいです。でもアングル決まっちゃいますね。

 

 元が奇麗なカマだから、雨上がりで正に烏の濡れ羽。ロッドをクリアで塗ってくれたら完璧というレベルです。しっかりお手入れされてるんですね。ありがたいことです。さぁ、どんどん日が暮れてきます。次行きましょう!







デジカメの威力再び



 お次は今日のラス前。旧渚滑線の佐呂間駅跡に作られた佐呂間町鉄道記念館のD51565なんですが、どんどん暮れて雨まで降ってきて・・・。やっと着いたときはかなり暗くなってました。それでも撮れちゃうのがデジカメの強さ。ひじを固めて撮りまくりぃ!あ、実際はこんな明るくないっすからね。



 ここのD51もキレイですねぇ~!ロッドの色がちょっとヘンだけど(笑)。でもコンディションは上々。後ろの郵便車は・・・50系か。旧客とは言わないけどせめて10系だったら・・・、なんてテツのワガママ?


 
 さて、もう1台予定していましたが、保存機巡りもここらが限界。もう完全に暮れてしまいました。それにこのへんで動き出さないと今日一番大事なことを仕損じます。移動しましょう。18時過ぎ、計呂地のC58139に未練残しつつ、すっかり暗くなった佐呂間を後にしました。



どうしても食いたいそばがある!
 今宵のお宿は遠軽駅至近の「ホテル サンシャイン」。雨の夜道でもスマホナビのおかげですんなり到着。ありがたやありがたや・・・。チェックイン済ませたら傘さして直ちに出撃!いよいよ今日一番のイベントが始まる、はずです。角を曲がると遠軽の駅が見えてきて、でもターゲットはまだ右の陰で見えません。ん~じれったい!そして駅前に着いて・・・ジャ~ン!



 電気点いてます!やった!今度こそ食える!階段駆け上がって店覗き込むと、有名な看板娘のおばちゃんじゃなくておじちゃんがいました。いいですかぁ?と声掛けて天ぷらそばを注文。店を開けてまだ間が無かったのか、出てくるまでちょいと待たされましたが・・・ついに!去年食い損なった*北一そばっす!これこそが、どうしても食いたいそばだったんです!遠軽に宿取ったのもこのため。夕、夜、朝いずれの場合でも対応できるよう備えました。
*
クリックして下へスクロール「遠い立ち食いそば」をどうぞ



 まずは汁から。ん?うすくね?北海道のイメージもネットの評価も濃い目が多いけど・・・。ま、味はこのさい問題じゃない。いまや絶滅危惧食といっても過言ではないローカル線の駅の立ち食いそば。それをそこで食えたことに意義があるんです。ありがたやありがや・・・。もちろん汁も残さぬ完食です。器を戻しながら「商売にならんかもしれないけどがんばってください!」と声かけたのはいうまでもありません。ちなみに現在は夕方から夜のみの営業のようです。ただし営業時間はアバウトとのこと。




歩数稼ぎつつの仕込み
 これで晩飯は半ば済んだも同然。当初はホテル近くのミートパビリオンで肉食らう予定だったんですが、もうそんなに入らんし。スマホの万歩計見ると目標にちょいと足りません。おし、歩数稼ぎつつホテル向かいのコープで仕込むか!と雨の中を歩き出しました。ちなみに、コープはホテルの隣ですが、歩道をしばらく明後日の方向へ歩いて戻るの感じで。で、今日も目標達成して半額お惣菜と燃料ぶら下げてホテルに戻りました。



 さっそく一風呂浴びて宴ですが、さっきのそばが意外に利いたらしく、明日の朝食分残してダウンしました。

 

9月16日前編へ

戻る