西方行脚20160/~佐伯~宇佐~門司港~日出
5月30日(月) 慰霊と保存機・Ⅰ

寝不足お覚悟!
 目が覚めちゃったんで仕方なく始めた車内清掃は、こういう時に限って妙にはかどってしまうもの。乗船までまだ大分あるというのに、あっという間に片付いちゃいました。なら寝ておきたいのに目は冴えるばかり。寝不足覚悟で組んだ予定ながら、眠りが担保されないことに少々焦っていました。



 お、やっと入ってきました。ここのフェリー、普段から乗降に時間がかからないんでしょうね。出航前30分切らないと姿も見えません。ローカルならではですかね?なんか・・・めっぽう空いてそう・・・。*



 並んでた乗用車は2台だけでしたが、まさかこれだけ?それにしても空いてます。この会社大丈夫か?んなこたぁどうでもいい!それどこじゃない!寝なきゃ!この手のフェリーではいかに早く横になるかで決まりますから。後はダメ元で目を閉じるだけ。結果寝られるかどうかは神様が決めます。で、3時間近く寝られました。日頃の行いでしょうか?いや、「心労」でしょう(笑)



 下船しようとカーデッキに降りてびっくり!やっぱりこの3台だけでした!客もまばらだったし・・・。次来たとき乗れんのか?



 それはさておき・・・0350上陸。空いてるから早!不安抱えつつ5号ついに九州上陸です!さぁ、久々の眠くなるまで走れ!はどこまで行けるか!?




北上再開!宇佐へ!



 結局東九州自動車道に入って30分と持たず大分松岡PAで沈没。おかげで3時間ほど寝られましたから、トータル1日分よぉそろ!さ、朝のお勤め済ませて北上再開!まずは宇佐を目指します。が、出すもの出すとおなか減るし5号もそろそろ飯時。次でまた休むことにしました。しかし別府湾SAの食いもんの高い事!軽くでいいんだからさ。はなまるのかけ小みたいのないの?パンも・・・バカヤロー!。で、やっと見つけたこれは310円。これで十分!



 ここ見晴らし良いんですが風がすごっ!5号も揺れます。その揺れる車内でいただく「吉野の鶏めし」うまし!最近SAリニューアルで価格帯の底上げにかなりいらついてるんですが、ここも今少し小腹需要を満たす商品についても考えるべきかと。さて、5号にも飯食わせて北上再開しますか!



 順調に北上を続けてたら大きな山が見えてきました。なんか由布岳に似てるなぁ・・・。あれ、正面に見えてきた・・・。!!!ありゃどう見ても由布岳じゃん!ってことはこれ大分道!どこでどう間違えたんだか湯布院まで行くハメに。ここ走るのは明日でっせ!ところで・・・



 熊本地震(この名称には異議あり!)でズタズタにされた高速道路網。輸送路確保と復旧力を考えれば、全通までにそう時間はかかるまいと思っていました。もっとも、その時点では東北の震災以来、未だマヒしたままの感覚に、被害の大きさを見誤っていたかもしれません。ネットでチェックする度に復旧してゆく道路網もそれを助長していました。そして予想通り出発前の全通。こっちへ来てから1度も地震に見舞われていないし、走る車窓からも被災地なんて微塵も感じられないし・・・。もちろん何カ所かあった片側通行や崩れた切通しが、ここが被災地であることを思い出させてくれますが。でもやはりどこかマヒしてます。場合によっては、予定蹴ってでも何か復旧のお手伝いを!の思いも雲散霧消。だからと言って熊本の被害が軽いなんてこれっぽっちも思いませんよ。目の当たりにしていない分、東北のがすご過ぎて見えるんです。高速だけ走ってたんじゃだめですね・・・。





宇佐市平和資料館



 10時半頃、スマホのおかげで一発到着!便利になりました。さて、今回の「慰霊」はこの「宇佐市平和資料館」から。かつては海軍の艦爆、艦攻の訓練航空隊があり、今でも元滑走路周辺に掩体壕の残るこの地に、後世に平和の尊さを伝えるべく'13年に開館しました。施設としては小規模の部類ですが、映画「永遠の0」で使用された零戦21型の実物大模型は一番のがウリでしょう。撮影用とは言え、全体としては大変素晴らしい出来かと。

 エンジンの冷却フィンはちょっとご愛敬的な。でもチョロっと映るだけならいけそうです。操縦席の器機は映らないところまでよく作り込んでますが、計器類は・・・印刷?ここにV6の岡田君が座ったのか・・・

 このハゲ具合もなかなかリアルです。21型は昭和19年頃まで製造されてたみたいですが、確か劇中では主人公があえて古い21型に乗ったんでしたっけね。だとするとお古の21型、ってことで余計リアルかも。でも整備兵が、空気抵抗を少しでも減らすためにぬか袋で磨いていてハゲでもピカピカだった、という話も残っています。むろん全ての基地でそうだったかは?ですが、この半光沢の塗り、どうなんでしょ?

 

 もちろん機銃や模擬弾、通信機等の実物も展示されています。なのに幼稚園時代からの刷り込みで、模型と分かっていながらテンション上げてくれちゃいます。不謹慎ながら・・・カッコいい!で、こんなのもあるから・・・



 当然こうなる。 戦争の是非は言うに及びませんが、未だにゼロ戦で空飛びたい!なんて夢を捨てられないのでお許しを!あぁ、また「慰霊」がどっか行っちゃったじゃないか!(笑)

      

 車との比較しかできませんが、狭くはない気がします。でもガダルカナル攻防では、空戦も含め往復7時間近く命のやり取りしながら押し込められていたんです。手足を伸ばすことも休む事も出来ずに、です。これは広さ以前の問題ですね。夢は夢として・・・平和な時代に生まれてよかった!





城井1号掩体壕史跡公園



 宇佐航空隊の滑走路跡周辺には、今も10基ほどの掩体壕が点在しています。その中の一つを市が買い取り公園として整備したのがここです。



 ここ以外の掩体壕は概ね農家の納屋のようですね。皆さんどんな気持ちで使ってるんだろ?海軍に取られた田畑が返されたらこんなもんがあったから使ってるだけ、なんて言われちゃうのかな?壊す金がない!とかね。現実はそんなものかも。ここにも99艦爆や97艦攻が収まってたのかな?




 これが城井1号掩体壕。中には国東沖で回収された零戦のエンジンとプロペラが展示されてます。



 栄21型ですかね?零戦を名戦闘機にしたエンジンです。欧米に比べて非力とは言え1130馬力をたたき出しました。1940年代にそんなエンジン作れたんです!ただし27900ccで、ですからN360の354ccで31馬力の・・・半分!ま、そんな比較はナンセンスなんですけど、車いじりでエンジンもバラせるようになって以前とは見方が変わったかも。



 もうちょっと高い位置に展示してくれたらよりリアルなんだけどなぁ・・・



 この掩体壕の傍らには、特攻で散った憂国の士154名を慰める鎮魂の碑があります。そこを歩きだした時でした。不意に涙が溢れてきたんです。私に霊感なんてあるはずないんですがなぜか・・・。



 そして涙をぬぐうこともせず手を合わせていました。こういった場所で手を合わせるのはいつもの自然な行動ですが、涙が溢れ出たのは初めてかも。ひょっとして、まだここにたくさんの御霊がいて、私を突き動かしたとか?



 国に殉じたあなたたちのこと、決して忘れません。あなたたちのおかげで今も日本は平和です。ですからどうか安らかに眠ってください。やっと慰霊になりましたかね?






宇佐航空隊滑走路跡
 宇佐航空隊は戦後滑走路のコンクリートがはがされて元の田んぼに戻りました。そこへ新たに作られたのがこのフラワーロード2号線で、道筋は宇佐航空隊の滑走路そのものだそうです。


 
 ですから「滑走路跡」となっていますが、この道路がそうだったわけではありません。真っ直ぐなのでそうなのか!って思っちゃいますけどね。



 着陸はこの方向だったようです。訓練を終えあの山を見下ろしつつ降りてきたんでしょうね、今なら高校生くらいの若き戦士たちが。



 私も着陸するように走って東九州自動車道へ。北上を再開して門司港に向かいます。過去3回1,2,3号で関門越えながら寄れなかった所があるので。




九州鉄道記念館



 それがC591を擁するここです。C59は梅小路で既に拝んでますが、汽車会社製番2000の1号機はゼヒ拝みたかったので。やっと来れました。



 昼過ぎに着きましたが平日だからPも空いてます。このレンガ造りの建物が本館で、旧九州鉄道本社社屋だそうです。本館内の展示物は、まぁ・・・。子供の時分より交通博物館を見てますから・・・と言ったらかわいそうかな?ありゃ、食うとこもないんですね・・・。では本命見に行きましょう。




 展示車両は1本の低いなが~いホームに並んでいて、本命はずっと先です。電車には興味ないんですがこれは別。幼稚園時代、夢の超特急(現東海道新幹線)デビュー前の憧れの「とっきゅうでんしゃ」ですから。親父殿の大阪出張に連れられて「富士」に乗ったのをよく覚えています。もっともこれは交直流の485系。私が乗ったのは151系。姿はそっくりですが別モンです。




 ガソリンカーのキハ07は昭和59年に廃線になった宮原線で昭和44年まで走っていました。ブレーキは他の鉄道車両と同じですが、何とギアミッションです!クラッチペダルとシフトレバーがあります!知りませんでした!



 これぞ昭和!の車内は土足厳禁。スリッパに履き替えて見学します。



 
 こちらはEF1035。山陽本線も鹿児島本線も未電化時代の昭和17年に開通した関門トンネルに投入された直流電気機関車です。



 戦後外板をステンレスに張り替えた5両のうちの1両で、昭和36年に鹿児島本線が交流電化されるまで使われました。その後稲沢、長岡、東京を経て昭和53年に豊橋で引退しました。SLじゃありませんが、デッキ付きの電気機関車は例外ですので。ちなみにEF57なんかツボです。




 おっ、主役のでっかいケツが見えてきました。長距離の特急機ならではのテンダーです。きれいですねぇ。運転台もきれいです。なんか・・・零戦とは違うアドレナリンが湧いてきましたよ!

         



 汽車会社製番2000となっていますがは本来なら1993です。しかし2000が近づいていたこともあり、記念機関車とするためあえてC591~3に2000~2002を割り当てたそうです。オーソドックスな作りながら、円熟期を迎えた国産蒸気機関車としての期待、という面もあったんじゃないですかね?



 さすがに保存状態良いですねぇ。すぐにでも走れそうです。ロッド類もタイヤも現役当時そのままに磨かれ油で光ってます。磨かれた鉄の輝きは日本刀の美しさに通じます。ではいよいよ真打登場です。前に回って・・・

 じゃん!C591です!私はC62より好きです。許される軸重いっぱいで造ったから一軸従台車。もちろんC62みたいにストーカーなんてありません。手炊きです。ですから補助的な道具に頼らないこの機関車こそ、本当の意味での限界の機関車だったと思っています。ちなみに、一番好きなのはC61ですけどね。




 自撮り棒持ってんだから記念の1枚も(笑)。お隣はキューロクね。



 戦後山形、米沢が長くて末期に後藤寺に来たカマです。生え抜きじゃありませんが、SL終焉期に全国で巻き起こった自治体の保存ブームで、縁もゆかりもないカマ保存してるの考えればよっぽどまともです。戦前には大里(現門司)や直方にもいましたしね。しかし・・・後藤寺のカマってきれだった記憶がないんで違和感、なんて言ったらかわいそうかな?



 これにて打者一巡。お参り(?)が済んだんでお昼にしましょ。




門司港散策
 門司港と言えば「焼きカレー」だそうですから、まずは店を探しつつ散策とまいりましょう。物見遊山にもだいぶ慣れてきましたしね。



 明治のレンガ造りと近代建築が混在して独特の雰囲気の港町ですね。ただ、港町と言っても元を付けるのが妥当かもしれません。昭和17年の関門トンネル開通と、戦後の大陸貿易衰退で港町としての役目は終わったようなものだそうですから。ん~、それにしてもそこらじゅうに焼きカレーののぼりが・・・。金額は大体1000円以下なんですが・・・。決められなくて30分以上彷徨うハメに陥りました。相変わらず妙なところで決断力弱いです(苦笑)。



 で、やっと辿り着いたのが、何のこたぁない、最初に覗いた店「ル・カフェ」でした。門司港グルメ会とやらには属していないので、記念館でもらった焼きカレーマップには載ってません。この界隈では老舗の部類ですかね?店内は昼時外れて先客は一人だけ。関門海峡が望める席に陣取ります。新進の店と違って、レトロな店内は居心地良いです。お値段もリーズナブル。ならハナっからここに入りゃいいのに・・・と、苦笑いしつつ注文はもちろん焼きカレー。なんか落ち着く店だなぁ・・・



 おっ、来ましたね。これが「焼きカレー」っすか。予習はしましたが全くのお初。さてどんなお味で・・・。ホォ~、これは面白い&うまい!要するにカレーライスの上にチーズとたまごのっけてグラタンみたいにオーブンで焼く、なんですが、両方の味を一度に楽しめるけどA+B=CじゃなくてA+B=A+B+Cになってます。これは良いですねぇ!手間考えると家で、とは考えにくい分残すべき外食メニューです。ちなみにチャーハンと絶滅危惧食の昔ながらのしなそばは消えてます。外ではまず食いません。



 さて、腹ごなし兼ねて散策の続きを。しかしお目当ての門司港駅はリニューアル中で、見学通路から覗き見るだけです。でも取り壊しではなく、文化財としてのリニューアルですからいずれ拝めることでしょう。かつて中高時代、ここから南九州へ向かう夜行列車に何度も乗り込んだものです。駅近の銭湯で下着や時にはジーパンまで洗って。乗り込むと網棚に洗濯物干したりしてね。懐かしい姿、見たかったな・・・



 はい、これにて本日の予定終了!ゆんべ布団で寝てないから、今日は早めにチェックインしてゆっくり休むとしましょう。ん~、それにしてもなんだか5号の音が大きくなってきたみたいで・・・。潜ってチェックしたいんだけど・・・。




宴@買い過ぎ!
 今宵のお宿は「HOTEL AZ 大分日出(ひじ)店」。明日のこと考えれば別府温泉の方が良かったんですが。でも地震とは無関係ですよ。歓楽地を避けたかっただけです。本当は一昨年泊まった住吉浜スカイホテル狙いだったんですが、つぶれちゃったみたいで・・・。あそこ良かったんだけどなぁ・・・。で、着いてみたらここPがうんと広いです。ジャッキアップできれば遠慮なく潜れます。日豊本線の暘谷(ようこく)駅前ででっかいスーパーもあります。もっとも肝心の駅は1時間に1本程度の嗚呼ローカル線!電車は今時の走ってましたけどね。さぁ、様子も分かって、ジャッキアップは明朝に先送りしたら早速仕込みに出かけましょう!



 大分と言ったら鶏唐揚げだそうですから、それは外せまいと思う間もなくホテル正面に専門店みっけ!しかも安い!ほか弁形式なので揚げたてがいただけます。ならそれは帰りに寄るとして、まずは燃料等をスーパーで。帰りに塩&醤油唐揚げをさっきの店で。控え目に仕込んだつもりでしたが並べてみたら・・・。冷蔵庫にもまだあるし・・・。10若ければともかく、今の胃袋にはどう考えても買い過ぎです。ここ朝食付きだから明日には回せないし・・・。予想通り食いきる前に寝てました。

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