西方行脚2016/~高山(肝附)
6月2日(木) アキマルさんと飲み会!

明ければ快晴!
 軽めの晩飯と早寝で爆睡。どんな栄養剤より効くようです。しかも昨日とはうって変わって朝から快晴!いやが上にも心身ともに復活しちゃいます!こうなると朝飯までうまい!もう大丈夫!5号は・・・まぁ、なんですけど(苦笑)。でもその5号も大丈夫!今日は秘策がありますから。それにしてもこんな気分良く出発するのは久々です。薩摩半島を横切って指宿有料、九州道と昨日来た道を戻ります。そのまま東九州自動車道でアキマルさんち行く手もあるんですが、その前に国分でチョイと寄り道です。これまた懐かしい蒸機に会いたいんで。
   






霧島市城山公園
 
今を去る昭和48年8月。2回目の九州の日豊本線で撮ったC6119がここに保存されていて、しかもそれがアキマルさんちへのほぼルート上。とくりゃ素通りはできませんよ。何といってもC61型は私の一番好きな蒸機ですから。




 その昔、ずっと会いたくて会えなくて、やっと46年中学1年の春休みに青森に配置されてた2.18.19.24.28を奥羽本線で撮ったのが最初でした。その年の10月に同線が電化されたので、もはやこれまでと諦めていたら、なんと全機宮崎に転属になり日豊本線を走ることになったんです。雅巳少年狂喜しましたねぇ。もうじっとなんてしていられません。親父殿を拝み倒し10日間の旅行許可を強引に取り付け、初めて九州へ行ったのが47年中学2年の春休み。昨日のC5552に乗せてもらったのと同じ時です。次々とやって来るC61にうっとり。つかの間の逢瀬を楽しんだものです。が、それで気が済むワケが無い!翌年高1の夏休みに2度目の九州行を、これまた強引に許可取り付けて敢行。1年半ぶりの逢瀬を楽しみました。その後も高1冬休み、春休みと九州行きを敢行しましたが、C6119を拝めたのはその夏休みが最後になってしまいました。ですから実に43年ぶりの再会となります。遊園地の中に保存されてると聞いていましたから、さぞや穏やかな余生、と思いきや・・・・



 ちょっとは現状を聞いていたので、覚悟してきたつもりですが、これはひどい!もうずいぶん長い間手を入れてもらってないのは明らかです。



 煙室扉のハンドルナシ。後ろのナンバープレートは無くて直に手書き。他にも欠品は多々ありそうです。それより目立つのは、桜島の火山灰でしょうかね?泥水かけて乾かしたような模様が全身に。宮崎時代が特にきれいだった分よけい惨めに見えます。これはあんまりだ・・・



 しかしここが霧島市の公園である以上結局予算の話です。見たところ賑わっている遊園地でもなさそうだから収益など望むべくもない事でしょう。火山灰と鹿児島湾からの海風に身を晒し、もう朽ちるに任せるよりないのでしょうね。昨日とは違う寂しい再会となってしまいました。



 ここ、鹿児島湾と桜島を一望できる大変見晴らしの良い公園です。その分火山灰と塩気からは逃れられませんねぇ・・。なんとか予算付けて大事にしてもらいたいものです。よそ者の勝手な願いではありますが・・・







ホンダカーズ国分
 '11年の1号、'13年の2号以来3年ぶりとなるホンダカーズ国分ですが、過去2回は半ば表敬訪問でオイル交換。でも今回は違います。Tuさん助けて!を胸に秘めオイル交換をお願いしに来ました。ついでにキャブとマフラーも・・・。そう、これが「秘策」というわけ。Tuさんがいらっしゃらないと話は始まらないんですが、すぐお会いできたんで、もう半ば解決したような気分になってました。早速リフトアップしてオイル抜く間にマフラー覗き込むと・・・あ~、やっぱり!巻き付けた板もバンドも無事ながらテープがだいぶ裂けてます。こりゃ立派な予備軍。良い音するわけです。



 一通り状況説明したら、オイル交換は若いクルーに任せ、Tuさんまずはマフラー補修から取り掛かります。現状確認して何か取りに行ってるみたい。いくらアキマル号の面倒見てると言っても、部品なんて無いでしょうに・・・



 そしたら「もう他じゃ使わないから」とバンドを二つ持ってきて補強してくれました。更にパテで隙間を丁寧に埋めて仕上げてくれたんです。ここはチェックだけできればいいと思ってたから嬉しいやら驚くやら・・・。続いてリフトから降ろしたらキャブ調整も。スロー調整というのをやってもらったら低回転時のグズつきが相当軽減されました。これ以上は無理だそうですけどね。やっぱ一度本気でキャブ勉強しなきゃですね。痛感しました。*写真は作業途中



 結局こちらの望みが全部かない「秘策」が全て当たった格好になってしまいました。本当にありがたいやら申し訳ないやら・・・。もちろん心からお礼言って退散しましたが、次はNで、とはさすがに言えませんでした(笑)。





一路アキマル亭へ
 Tuさんとこ出たのが10時40分くらいですからメッチャ順調。昼頃には着けそうです。なんつったってこっちにゃスマホのナビちゃんという強ぇ~味方が付いてますからね。東九州道~大隅縦貫道と走ったら後はお任せです。



 かつては「職業上のプライド」なんて意地になってましたが、辞めちゃったんだからもういいでしょ。一度味わった楽はもう戻れませんし(笑)。苦労しまくりで行ったのがウソのようです。ただしそれは正しく入力できた場合の話。いえね、走ってくとどんどん町の中入ってくんですよ。こんな賑やかなとこじゃなくてもっと田畑が広がるはずなんだけどなぁ・・・。明らかにヘンです!



 そうこうするうちに鹿屋市街を走っていることが判明!そんな馬鹿な!とスマホ見たらどういうわけだか鹿屋の鉄道公園になってます。その意味ではナビ間違ってませんが行き先は高山の鉄道公園です。どこでどう入れ間違ったんだか!?あわてて修正してなんとかアキマルさんのお店「虎一」に着きましたが、着いたのは13時過ぎ。1時間も余計なとこ走らされちゃいました。ちなみに再入力は肝附群肝付虎一で一発でした(苦笑)。




思いもかけぬ話
 こちらに来るのも2年ぶり。アキマルさんもさっさと店閉めちゃって、まずはジョイフルで積もる話に一花咲かせます。頃合いを見て、風呂に行くべく一旦アキマルさんちへ。すっかりお元気になられたお父上にご挨拶したら、どんな話の流れか忘れましたが、この方、若き日に陸軍航空部隊の整備兵だったことが分かって!!!担当はキ44、つまり2式戦闘機「鐘馗」だったとのこと。ただ、昭和20年入隊だったので、整備どころではなく、防空壕堀ばかりやらされていたそうです。だったとしても、私の心に火を点けるには十分!お父上の心にも久々に火が灯ったようで2人は大盛り上がり!あっ、風呂ですね!こりゃ後でゆっくりお話し伺わないと!





すんごい大宴会!
 さ、ひとっ風呂浴びてさっぱりしたらいよいよ宴です。今宵はアキマルさんの仕切りでお仲間のお店「海人料理向井亭」です。そこへ更にお仲間2人が加わり4人で大宴会の始まりです。しかし席に着いた時から、お通しにしてはすごい量、と思う間もなく次から次へとお膳を埋めてゆきます。燃料は「小鹿」とかいう芋焼酎。クセが少なく飲みやすいです。ただ言葉の壁は如何ともし難く、油断すると一人外国に取り残されたような気分に(笑)。でもそれを察知するとすぐ翻訳してくれるんです。皆さんホント優しい。

 わっ、いつの間にやらまん中に伊勢海老のお造りが!更にアワビ、サザエ、生ガキ、天ぷら・・・あとなんだっけ?とにかくすさまじい種類と量です。なのにまだまだ出てきます。で、もう出ないだろうと思ったらトドメはどんぶりに並々盛られたアラ汁とでっかいおにぎり。もちろんどれもメッチャ旨いんですよ。でもこれは相撲取りでもなきゃ絶対にムリ!そういう量です。それは皆さんとて同じこと。どうすんだろこんなに、もったいない・・・。と思ったらお開きとなると同時に折詰が出てきて、パパパっと詰めてアっという間にお皿は空に!ムダ限りなく"0"!すばらしい!出された料理もすんごかったけど、片付けまでこうとは実にすんごい大宴会でした。

    アキマルさん、本当にごちそうさまでした!





宴は続くぅ!
 向井亭を出ると、今度はアキマルさんお抱えタクシーのような、なじみの代行屋さん呼んでスナックへ。そこで飲んで歌ったらまた代行屋さん呼んで今度は鹿屋へ。ウィスキーの話が出たので、と向かったお店は「麻芽葉」。ここの志保さん、アキマルさんも認めるプロだそうで、本当にウィスキーが好きみたい。素人のつまらん質問にも楽しそうに答えてくれましたから。こういう店にはまず縁がありませんが、ここなら何とかなる、かな?そしてまた代行屋さんに連れられてご帰還でしたが・・・何時に帰りましたっけね?

 

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